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岡山簡易裁判所 昭和35年(ハ)227号 判決 1963年3月19日

原告 田辺真一

右訴訟代理人弁護士 甲元恒也

被告 横山謙一

右訴訟代理人弁護士 岸本静雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、(一)岡山市下西川町字「指柳二」一三〇番地宅地六二坪八合(仮換地として五〇坪二合が指定されておる)が昭和二〇年六月二九日岡山市の戦災前から訴外中村彰二の所有であつたが原告が昭和三二年一二月六日之を代金四五万円にて買受け翌三三年一一月二四日その所有権移転登記を受けたこと、

(二)被告が右宅地中別紙図面表示の如く西北部に位する一一坪六合一勺九分の地上に昭和二三年八月中原告主張の本件係争家屋を建築居住して同部分を占有現在に至つておること、

(三)原告も亦前示図面表示の如く右被告の家屋に隣接して住宅を建築現に居住しておること。

は何れも当事者弁論の全趣旨に徴して明らかである。

二、原告は被告が前記の如く家屋を建築したのは訴外中村彰二の承諾を得ない敷地の不法占有であると主張し被告は同訴外人から賃借したものであると抗争するにつき先づこの検討するに証人林儀三郎同高田清一の各証言被告本人尋問の結果及び前段認定の争のない事実並びに成立に争のない甲第一号証の記載と右証人林儀三郎の供述とを対照して認められる昭和二九年八月迄の地代は本件被告占有の部分のものも所有者である中村彰二に支払はれておる事実を綜合すると被告は昭和一四年頃から右訴外人所有の本件係争地上にある同人所有の家屋を賃借居住していたところ前掲戦災により該家屋が焼失したので被告はその焼跡にバラツクを建てて継続居住していたが昭和二三年八月中その当時本件土地一筆全部を家屋の所有を目的として賃借していた訴外林儀三郎から貸主中村彰二の承諾の下に本件係争部分を改めて転借(当裁判所は被告の訴外中村彰二から賃借したとの主張には予備的に上記の如き転借の趣旨も包含するものと解する)した上之に本件家屋を建築居住して来ておることが認められる。随つて被告の右家屋の所有は中村彰二に対する関係においては適法であつて之を不法占有となす原告の主張は当らない。しかし該家屋が未登記であることは当事間に争のないところであるから被告は右中村彰二からその敷地の所有権を取得した第三者に対しては一応対抗力を有しないものと謂わねばならぬ。

二、被告は本件既往の地代は全部支払済であり原告に対しても弁済供託により未払分はないから本件占有は不法ではない旨強調し暗に原被告間にも既に賃貸借関係が存在しておるが如き主張をするが訴外中村彰二又は林儀三郎に対する地代の完済は原被告間の法律関係に影響を及す理由はなく弁済供託の事実も原告の争はぬところではあるがこの一事をもつて本件占有を正当なりとなすを得ないことは多言を要しないから右被告の主張は採用の限りでない。

三、ところで前段認定の如く昭和三三年一一月二四日本件係争土地につき所有権移転登記を受けた原告が被告に対しては所謂第三者に該当することは勿論であるから果して被告は原告に対しては本訴明渡の請求を拒否し得ないか否か即ち右請求が被告抗弁の権利の濫用に該当するか否につき審究するに証人林儀三郎同高田清一同田辺九一の各証言被告本人尋問の結果甲第一号証、当裁判所に顕著な本件土地所在地域一帯の地価の最近の騰勢本件訴状受附印の日附等を綜合して考察すると

(一)原告及びその実父である田辺九一等は予てからその所有家屋の敷地を買収して生活の安定を期せんと欲していたところ昭和三一年頃訴外中村彰二から訴外高田清一を介して原被告双方に対して夫々その所有家屋の敷地の買取り方の請求があつたが原告は価格が不満なため被告は資金難のためその交渉は一旦挫折したのであるが前示九一は尚買収の意を捨てず被告に対しても買収を共にせんことを勧誘したが当時被告は前認定の如く正当な転借権を有し即時買収を要する事態でもなかつたので右勧誘に応じなかつたところから原告は同三二年春頃単独で中村彰二に対し自己占有部分のみの譲渡方を要請したが中村は一筆全部の売却を主張して譲らなかつたので被告の占有部分は不用ではあつたが自衛上已むなく右要求を容れたのみならず昭和二九年九月以降の地代も被告占有部分も含めて不法占有に因る損害賠償名義をもつて支払うことを承諾して一筆全部を代金四五万円にて買受けたもので当初は之による利潤の追及乃至は被告に対する本訴の如き請求をする意図はなかつたこと及び被告もその後間もなく自己占有部分の譲渡方を中村に申入れたが原告との売買契約成立後であつたのでその意を果さず更に原告の父九一に対し分譲方を要請するに至つたのであるが当時既に同土地の価格は相当騰貴しておつたので原告側においては買受け値段で分譲の意思はなかつたのであるが従来からの経緯と隣人としての情誼上騰貴価格による買収方を要求するに忍びず言を構えて諾否の回答をなさなかつたのは勿論前認定の中村に支払うた損害賠償の被告の負担部分の償還請求もせず又第三者としての土地の明渡は勿論不法占有による損害賠償の請求等は一切なさず昭和三四年末頃迄従前通りの占有を認容し(証人田辺九一の被告の良心的自発的な明渡を期待していた旨の供述は信用しない)ていたのであるがその間地価は暴騰を続けたので被告との関係を清算するため原告独自の見解に基く時価による買収方を要求したが応じないので昭和三五年に至り前認定の登記の欠缺を楯に家屋収去土地明渡の調停の申立をしその不調に終るや同年四月四日本訴の提起となつたことを窺知するに難くない。

(二)又他面被告は本件土地には昭和一一年頃から居住しており前認定の如く戦災苦難の時代を経て辛うじて生活の安定を得ておるもので本件係争の土地家屋は被告一家の生活の唯一の基盤であつて縦令右家屋が原告主張の如く戦後急造の粗雑な住宅であるとするも今卒然として之を収去してその敷地を明渡すことは被告に対して救うべからざを物心両面の損害を与えるもの換言すれば本訴請求は正に被告の死命を制するものであると謂うても過言でないことが認められる。

而して右(一)(二)の事情を対比して考察するに原告が法律上は一応係争敷地の第三取得者として未登記の本件家屋の収去を求める権利を有することは当然ではあるが被告においても適正な価格ならば今も尚該敷地の分譲を受ける希望を有することはその弁論自体から容易に窺い得られるところであるから原告が右権利を行使するにはその前提として先づ被告に対し上来説示の既往の経緯の外に当初被告が原告側の勧誘に従うて買収を共にしていたならば本件係争部分は原告の所有に帰属しなかつた事情等をも考慮に入れ且つ情誼と互譲の精神を加味しつつ原告が係争部分の為に支出した売買代金、諸雑費公租公課、これらの出捐に対する相当の金利並びに被告の当然負担すべき該宅地の占有使用の対価等を基準とした公正妥当な譲渡価格を算定した上之による買取り方を催告して以て被告に対し適正価格による買受の機会を許与することを要し若し被告において右催告に応じなかつたとき初めて本訴の請求を為し得るものと解するを信義誠実の原則に照して相当とする。

然るに原告が右の如き催告を履践していないことは原告の弁論自体明らかである。尤も原告は坪当り五万五千円ならば分譲の用意があることを明らかにしてはおるが該価格は鑑定人笹井和加治の鑑定価格である金四万円を大きく上まわるのみでなく原告の買収価格である約一万円の五倍強に当り到底被告の首肯し得ざるものにして之と交換的に本訴の請求をなすは結局原告は利益の追及急にして遂に多年に亘る隣人としての情誼を無視し被告に対し忍ぶべからざる犠牲を強いるに帰し到底権利濫用の誹は免れ難いものと謂はざるを得ない。

四、原告は前顕五箇の事項を列挙して本訴請求が権利の濫用に該当しない旨を再抗弁するにつき按ずるに

(一)なるほど原告が当初本件係争部分を入手したのは自衛上已むを得なかつたもので被告に対しては毫も害意のなかつたことは既に前段において明かにした通りであるが斯る過去における心境の如何は毫も前段権利濫用の結論に消長を来たすものでないことは多言を用しない。(二)又本件家屋についてはその敷地は被告が昭和二三年八月中訴外林儀三郎から適法に転借したものであるから地主である訴外中村彰二対しては家屋の登記なくして対抗し得たことは勿論であるが第三者に対しては罹災都市借地借家臨時処理法による特別の保護を受くべき場合には該当せず単に建物保護に関する法律第一条による保護を受け得るに過ぎないものと解するを相当とするから被告は該家屋建築と同時に保存登記を受けて置くべきであつたのに原告が同敷地の所有権移転登記を受けた昭和三三年一一月二四日に至る長期間に亘りその手続を放置しておつたことは洵に原告所論の如く被告の過失であるを免れないが上来掲記の全証拠を綜合すれば被告は原被告間の永年間の前認定の如き隣人としての特殊の関係並びに信頼感から原告から本訴の如き請求を受けることは夢想だにしなかつたことに由来することが窺知できるから原告において該懈怠を責める急になるは甚だ穏でない。(三)次に被告が原告から訴外中村彰二に代払いした被告の負拠すべき所謂損害賠償金の弁済をしていないことは被告の争はぬところであるが本件係争部分については原告の買収後間もなく原被告間には之が売買の交渉が開始されたので原告においてもその償還請求を差控えており被告も亦売買成立の暁において清算を遂げる意図であつたもので必ずしも故意にその支払を免れんとしたものでないこと及び本件係争部分の使用の対価として被告が弁済供託しておる金額が原告主張の如く仮りに甚だ少額であるとするも原被告は既に昭和三五年初頃から紛争状態に在つて適正な対価につき協議をすることが不可能なため已むを得ざるに出たもので被告は之をもつて能事おわれりと為すものでないことが夫々証拠上推知できるからこれ等の事実を捉えて被告に誠意なしとなすは概ね当らない。(四)原告主張の如く仮りに本件家屋の収去が容易でありとするも被告の蒙むる損害の甚大であることは既述の通りであるからこの点の原告の主張は独断である。(五)又仮りに原告主張の如く原告の現住家屋が手狭で係争地上に住家増築の必要があるとするもその緊要度は証人田辺九一の証言によつて認められる原告家の家族構成の実情に顧みて差して高度のものとは認め難い。叙上原告の再抗弁は之を要するに概ね正当性が乏しく且つ仮りに夫等の事由が何れも斟酌すべきものであるとするも尚未だ以つて前段権利濫用の結論を覆すほどの価値を有するものとは認め難いから該抗弁は採用しない。

五、果して然りとすれば原告は現段階においては未だ被告に対し本訴請求を為し得ないものと断定するを相当とするから之を排斥し民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 山根吉三)

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